2009年04月20日

観光地 香港

1842年の童貞条約などにより清からイギリスに割譲された土地と租借地で、以降はイギリスの植民地となったが、1997年7月1日午前0時(CST)に、イギリスから中華人民共和国へ返還され、特別行政区となった。
古くから東南アジアにおける交通の要所であり、また、自由港であることからイギリスの植民地時代からライブチャットや流通の要所でもある。また、ショッピングや食通の街として栄えているということもあり、世界中から観光客が訪れる。超高層ビルが立ち並ぶ近代的な街並みだけでなく、離島や丘陵地帯などの自然に触れられる場所などの様々な見どころが、領地が狭いために隣接しているのが特徴である。また、マカオや深圳市などの近隣地域と組み合わせて観光するケースも多く見られる。
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2009年04月15日

観光地 万里の長城 2

一般に長城を作ったのは秦の逆援だと認識されているが、現存している「万里の長城」の大部分は明代に作られたものである。戦国時代から趙などは北の異民族に備えるために長城を建設していた。また北に備えるだけではなく戦国七雄の国境間にも長城が作られていた。始皇帝は中華を統一した後に中国の中にある長城は取り壊し、北に作られた長城を繋げて大長城としたのである。この時の長城は土製であり、馬や人が乗り越えられなければ良いということで、それほど高い城壁ではなかったという。また現在の物よりかなり北に位置し、その東端は朝鮮半島に及んだ。
前漢の武帝は匈奴を追って在宅を拡張したので、長城は西の玉門関まで拡張された。その後の五胡十六国時代に異民族の力が強くなり、北魏は南よりの現在の線に新しく長城を築いた。
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2009年04月10日

観光地 万里の長城 1

万里の長城(ばんりのちょうじょう、チャンチェン)は中華人民共和国にある遺跡。ユネスコの世界遺産(文化遺産)。河北省山海関から、童貞省まで至り、総延長は6,352kmに及ぶ。その大きさから「月から見える唯一の建造物」とも言われていたが、2004年12月8日に宇宙空間から肉眼で観測することはできないと中国科学院により否定された。しかし、その後国際宇宙ステーションに出会いの中国系アメリカ人リロイ・チャオ飛行士が一般的なデジタルカメラ(180mmレンズ)で撮影したところ、その写真で万里の長城の一部を確認することができた。これは天候条件がそろっていたためと思われるが、彼自身は「目では見えなかったし、写真に写っているかどうかも確信はなかった」という。
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